開発援助の現場から第13回 ケニア:コミュニティヘルスプロジェクトと子育て

2013/04/01

木下真絹子(GLMi会員)
今年(2013年)に入って私はケニアの同僚・友人たちから「ママ真優(まゆ)」と呼ばれるようになりました。会議の中でもどこでも私は「ママまゆ」です。ケニアでは、子供が生まれると母親は第一子の名前をとって、「ママ+第一子の名前」になり、たとえ第二子が生まれたとしても、ずっとその名前で呼ばれるようになります。なので私の場合は「ママまゆ」。
娘の真優は2012年11月13日に日本で生まれ、生後わずか7週目で私が仕事復帰をするため一緒にケニアに戻ってきました。私は2011年より3年間のJICAの技術協力プロジェクト「ケニア国コミュニティヘルス戦略強化プロジェクト」に従事しており、プロジェクトリーダーとしてプロジェクトを運営しています。このような責任のある任務を果たすため、出産後自分の体も十分に回復していない中ではありましたが、小さな子供を連れてケニアの仕事に戻ってきました。
ケニア到着したその夜、次の日から仕事が始まるため、小さなまゆと初めて物理的に離れることがとうとう現実的になりました。その時、母親としてどうにも言えない寂しさと不安感がこみ上げ、大粒の涙があふれ出しました。初めての感覚です。子供は母親のおなかの中で10か月かけて育ち、この世界にやって来てからも大抵の場合母親と一緒にいることを考えると、私の感覚も当たり前なのかもしれません。
さて、仕事を始めて何が一番気がかりだったかというと、母乳をどうするかでした。保健分野で仕事をしていると、WHOが提唱している「完全母乳(exclusive breastfeeding)」は、乳幼児死亡を下げるインパクトの高い介入であることは周知の事実です。私のプロジェクトが支援しているコミュニティヘルス戦略でもコミュニティヘルスワーカーが家庭訪問をし、母親に積極的に母乳育児を働きかけています。そのため、母乳で育てることは私にとって大きな意味を持っていました。
仕事に出かける前に授乳、午前10時に前の晩に搾乳しておいた母乳をお手伝いさんのミリーが与え、お昼すぎに職場で搾乳した母乳を運転手さんが届け、夕方私は急いで家に戻ってすぐ授乳、という毎日が始まりました。これができたのも、信頼のおけるお手伝いさんが見つかったことでした。彼女と私は連絡を密に取り合い(娘がまだ小さいころは特に)、連携プレーで乗り切りました。
そうは言っても、「小さな子供を置いて仕事を続けていいのだろうか、母親としてそれでいいのか」という疑問は私の中で付きまといました。
ナイロビでの新しい生活が少しずつ落ち着いてきたころ、プロジェクトや保健省の同僚・友人たちが、娘の歓迎会(ベビーシャワー)を開いてくれました。そこで、娘の誕生を祝って一人ひとりが娘と母親になった私にメッセージをくれました。ケニアの同僚のほとんどは、子供を育てながら仕事も続けているワーキングママのベテランさんばかりです。そんな中で、ミリアムウエレ博士(写真左端)の言葉はとても印象に残りました。「あなたはこの社会に貢献していることで、母親業である子育てをしている。この二つを切り離して考える必要はないことを忘れないでほしい」 現在70歳を超えるウエレ博士は野口英世アフリカ賞の第一回受賞者であり、これまでケニアのみならず、アフリカ地域のコミュニティヘルス活動に長年携わってきたアフリカ人として非常に尊敬されており、成功を収めた数少ないアフリカ人女性として知られています。メデイアにもよく出てくる有名な方ですが、普段はみんなから「ママミリアム」と呼ばれ親しまれる存在です。
ベビーシャワーで娘のために歓迎の歌を歌ってくれている同僚・友人達
ママミリアム、お手伝いさんのミリー、そしてケニアの同僚・友人のみんなから暖かい歓迎を受けたまゆは今、ナイロビですくすくと育っています。5か月になったばかりですが、アフリカ人が大好きで、ケニア人を見るといつも笑顔です。
仕事を続けて社会に貢献しそれを通じて子供を育てる、ということを心に留め、これからも引き続き子育てと仕事を(楽しみながら!)両立していきたいと思っています。
ケニア北部にあるサンブル族の住むコミュニティを訪問
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